再び「三国志」展から、曹操の墓を取上げる。黄河の北の安陽市にあるらしい。2008年から2009年にかけて発掘され、現在は曹操の墓だと確定したらしい。曹操高陵と呼ぶ。内部から曹操を意味する「魏武王」とある石牌(No.127)がでた等の証拠から曹操の墓と確定したらしい。
このように、大きな墓があった時に文字のある物が出土しないと誰の墓か確定するすべはほとんどない。日本にたくさんある古墳に文字のある遺品が出土するだろうか、ちょっと楽しみだが、宮内庁の考えにより発掘調査が禁止されているからこの楽しみは実現しそうにない。
曹操は、墓を大げさにするなと戒めたらしい。そんなことに国力を浪費するな、ということだろう。実際、展覧会に墓の中の構造をなぞらえた仮想現実の展示があったが博物館の一部屋に入りきるものだった。
曹操自身は魏の皇帝にはなっていない。その子の曹丕が魏を起こし皇帝になった。三国志演義では曹操は奸雄になってしまっているけれど、それは本当ではないようだ。
曹操高陵に関する展示物で気づいたものが以下の「白磁」(No.130)だ。
説明にあるように、白磁は6世紀後半と考えられている。曹操は3世紀に亡くなっているから300年以上前にもかかわらず、白磁が曹操の墓から見つかっている。不思議な物だ。当時の青磁の技術があれば「突発的に」このような白磁ができてもおかしくない、らしい。しかし不思議だ。
曹操の墓について説明したから、蜀の劉備、呉の孫権についても説明する。
劉備の墓は恵陵といって成都にあるらしい。ただ諸葛孔明の武侯祠のなかにある。諸葛孔明は劉備の部下ではないか。主客が長い年月の間に逆転したのか。
ただ、確定はしていないらしい。
孫権の墓は南京にある。近くに明孝陵(明の太祖洪武帝朱元璋の陵墓)がある。こちらは発掘していないらしい。