前回に続いて和船の基礎技術について記す。
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大洋を航海できるような、大きな木造船を作るには、何枚もの板を剥いで(互いに側面でくっつけて)水を漏らさぬ一枚板のように加工する技術が要る。
さもないと、海水が船内に漏れ込んで船が沈没してしまう。
水を漏らさぬために、洋船ではホーコンという麻の繊維に油をしみ込ませたものをすき間に詰め込む。
ところが和船では、そうした詰物は使用しない。ひたすら2枚の板の間のすき間をゼロにする。
そんなことができるか、できるのだ、ということを以下に説明する。
参照と引用をしたのは
安藤邦廣著「職人が語る木の技」(2002)の中の2つの章:
「木造船の復活を」強力敦、三川充三郎、出口元夫(伊勢市大湊町)
「帆曳船の復活で木造船の技術伝承を」田上一郎、田上勇一(茨城県玉造町)
からだ。
以下の図は強力・三川・出口さんの章から引用する。
(1)すり合わせ
剥ぎ合わせ面を加工した2枚の板をぴったり合わせて固定する。この段階では剥ぎ合わせ面にはまだ微細な凹凸があって、すき間があり、水がこぼれる。
板厚は底板では45㎜、側板では30㎜だそうだ(田上両氏)。
2枚の板の間には釘を通す穴が既に掘ってある。上図では片方の板に3個見える。
こうしたセットアップができたら鋸で剥ぎ合わせ面を挽く。
これにより、剥ぎ合わせ面の微細な凹凸によるすき間をなくすことができる。
(2) こなしあい
次に、剥ぎ合わせ面を玄のうでたたいてすこしへこます。これは2枚の板ともやる。
船の完成進水後に、へこんだ面は水を含んで膨れて元に戻る予定だ。
この膨れでもって微細なすき間をふさぐこととなる。
(3) はぎ付け
両板を十分締め付けて、釘を打込んで両板をつなぐ。釘は細く長く、斜めに打ち込むためにあらかじめ少し曲がっている。釘を導入する小さめの穴は前もって開けてある。
これで2枚の板の一体化ができた。
(4) 埋め木
水が入り込まないよう釘穴をふさぐ。釘穴をふさぐ時にまきはだ(桧の甘皮をほぐしたもの)という詰物を使うこともあったらしい。
以上が、和船の水も漏らさぬ技術だ。
和船はこのような高度な技術があったおかげで、船の外壁から作っていくことができた。外壁自体が船を支えるのだ。内部構造は、補助的役割でしかない。
なお外壁は曲面だから、板を曲げる事もやったらしい。水蒸気で蒸しながら熱と力を加えると板は曲がるらしい。30㎜厚や45㎜厚の板が曲げられるらしい。
一方、洋船では、船の背骨(竜骨)とか肋骨とかの内部の骨組みを作ってから、外壁を組付ける。外壁に残るすき間にはホーコンを詰める。
どちらが容易かというと洋船の方が簡単だ。つまり標準化しやすい。
どうも日本人の技術というのは、いつの時代でも、標準化とは逆行して特殊化しやすいようだ。
和船の水も漏らさぬ技術も高度だが特殊な技術と見える。それもまた面白いのだが。
さて、では古代の倭の船はどんなものだろうか?
卑弥呼の時代の丸木舟から、構造船に進化するころにはやはり詰物をしただろう。
上記のような水も漏らさぬ技術というのは、おそらく鋸・かんな・のみ・釘・とんかちなどの道具が一通り発明されたかなり後世にできたものだろう。