わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

倭が大型の構造船・凖構造船を作るための基礎技術

以前、卑弥呼の時代の倭の船は丸木舟だった、という記事を書いた。

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同じ頃、中国の魏や呉では、現在の木造船とほぼ同じく、板材をつなぎ合わせて作る大型の構造船・凖構造船があったらしい。

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しかし、この板材をつなぎ合わせる技術がとんでもなく難しい技術だと思う。

想像してもらいたい、2枚の板をはぎ合わせて水も漏らさぬ1枚様の板にする事を。

その時2枚の板の間に少しのすき間も許されない。すき間があれば水が漏れ、船が沈んでしまう。

2枚の板の間にすき間がないように加工する技術が、西暦238年の頃に魏や呉にはあったが倭にはまだなかった。

では、2枚の板の間にすき間がないように加工する技術とはどのような技術だろうか。

当時の技術を記した文献には未だ出会っていないから、現在の和船の技術から類推したい。

「職人が語る木の技」(安藤邦廣著、2002年)という本がある。この中の、

「木造船の復活を」(強力淳、三川充三郎、出口元夫)の章で、出口さんが言う、

「アカ(船内にしみ込む海水)止めとしては杉の方が水を吸うと良くふくらむので楽です。」

「洋船の場合は、外板の継ぎ目のアカ止めにホーコン(麻の繊維に油をしみ込ませたもの)をつめますが、和船は木をはぎ合わせるだけで、そのようなものは使いません。」

「(和船でも)長年使ってアカがもれてくれば、まきはだ(桧の甘皮をほぐしたもの)をつめますが、新造船には使いません。」

ということで、洋船ではすき間を防ぐためにホーコンという麻の繊維に油をしみ込ませたものをつめる。

和船では、木をはぎ合わせるだけですき間をなくし詰物を必要としない技術をもっている。

ただし、和船でも長年の使用でアカ(海水)がもれてくればまきはだ(=まいはだ:桧の甘皮をほぐしたもの)をつめる。

また、幸いなことに、木は水を吸収して膨れる。十分乾燥させた木材で船を作り、海に浮かべると水を吸って膨張して微細なすき間は自動的にふさいでくれる。

そうした木の特性を知った上で、残ったすき間には詰物をする技術を当時の魏や呉は持っていたと想像できる。

逆に言えば、そうした詰物によって安全に船の浸水を防げるほどに、すき間を小さくできたと言えるかもしれない。

以上、「2枚の板の間にすき間がないように加工する技術」と大げさに言ったけれども、実は、できたすき間には詰物をするという至極普通の発想だった。

ただ、その至極普通の発想を実現するには、かなり精度の良い木材加工技術が必要だ。鋸やのみ、かんなといった道具も必要だ。

倭がそうした技術を身につけて、丸木舟から脱して大型の構造船・凖構造船を作るのはもう少し先になるだろう。

対馬海峡を渡れる程度に頑丈な、大型の構造船・凖構造船ができた時にようやく、朝鮮半島から馬を運ぶことができた。

従って、馬を導入し始めた時には大型の構造船・凖構造船を持っていたことになる。