「倭」を普通に「ワ」と言い慣わしている。「倭人」は「ワジン」だ。「倭寇」は「ワコウ」だ。
しかし、当時本当に「倭」を「ワ」と発音しただろうか?
Wikipedia 「倭」によると、隋・唐時代の書物に「ワ(wa)」または「ヰ(wi)」と発音したとある。そこでは「ワ」と発音する時は「倭国」を示し、「ヰ」と発音する時は「従順なさま」と意味するとある。
従って、隋・唐時代には「倭人」は「ワジン」と発音したようだ。
しかしもっと古い時代には「倭人」を「ヰジン」と発音していたかもしれない。
「建武中元二年倭奴國奉貢朝賀」
という文がある。これを普通は、
「西暦57年(建武中元二年)に倭の奴国が朝貢してきた。」と解釈したけれども、その時もらった金印には「漢委奴国王」となっていて、「漢倭奴国王」ではない。
そこで、金印では「倭」の替わりに「委」の字を省略形として使ったという苦しい説明をする。
「倭」を「ヰ」とする立場からの説明は、「倭奴」も「委奴」も「ヰト」と発音して、「倭奴国」も「委奴国」も魏志倭人伝の「伊都国」とする。
こうすると、後漢書東夷伝の文面と金印の文字とは整合性がいい。しかし、伊都国が魏志倭人伝の時代から200年も前に存在していたかどうかは不明だ。
また、漢書地理志に
「東夷は天性従順であり、他の3方(西戎、北狄、南蛮)とは異なる。
孔子が舟で九夷に行きたく思ったのも道理だ。
とある。
ここで「東夷」とは「倭人」を示すものとすると、「倭人」とはもとは「従順な人」という意味をもっていたかもしれない。
漢書地理志ができたのは後漢の時代であって、まだ日本列島を中国人が認識していたとは言えない。
日本列島を中国人が認識し始めたのは卑弥呼の朝貢に応答する魏の使節が北九州に来てからだ。
従って、漢書地理志が意味する倭人は決して今の日本人ではない。それは、中国から見て東の海の中の島々に住む人々を意味していた。
そうして、当初は「倭人」は「ヰジン」と発音していて、「おとなしい人々」という位の意味に使っていたかもしれない。
「倭寇」と恐れられる海賊が現れる一千年前だ。