わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

やまととももそびめの命(夜麻登登母母曾毘売命)について

前回に書いたように、日本書紀に「やまとととひももそびめの命」が崇神天皇に助言する或いは「神の言葉を伝える」場面が有ると言った。実際2回ある。詳しくは日本書紀で確かめていただきたい。古事記にはない。

日本書紀では「天皇姑倭迹々日百襲姬命」と天皇の姑になっている。しかし日本書紀でも「倭迹々日百襲姬命」は孝霊天皇の御子だから崇神天皇の御祖父の妹御となる。当時の「姑」という語は今より広い意味に使ったかもしれない。

さらに日本書紀では「迹々日百襲姬命」は三輪山の神の妻であって、神の真の姿を見て驚いた事により三輪山の神が恥じて山へ去ってしまったのを悲しみ「ほと」に箸を刺して亡くなる。その墓は日中は人が夜は神が作ったとある。

今の箸墓古墳だ。

ところで、当時、箸はあったろうか?上記の言伝えは箸そのものがなければ存在しえない。

魏志倭人伝には「手食」とあって箸を使っていないようだ。「当時箸はない」と誰かが言っていたように思い出す。遺跡から箸は出てこないだろうか?

では中国には箸はあっただろうか?特に確かめてはいないがたぶんあっただろう。でなければ、魏志倭人伝にわざわざ「手食」と書かないだろう[1]。

  [1] この点を Wikipedia "三国志" 中国版 で調べた。「箸」を三国志全部で検索したら数か所あった。「食」の字の近くにあったから、現在の箸と同じものを指している事がわかった。(2018/11/4注)

そういう事で、大和地方に箸を使う部族が移住した可能性を想像する。

箸だけでも考えてみるといろいろ面白い。