わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

漢書地理志より考察

漢書地理志というのは、 前漢の最終期(西暦2年:平帝の2年目、平帝の補佐役に前漢を滅ぼす王莽が就任) における、郡名、県名、郡の人口等を羅列記載したものに解説が付く。 例えば、楽浪郡の項には以下の記述がある。 樂浪郡,戶六萬二千八百一十二,口…

 7月16日の記事に、少し訂正したい。

7月16日の記事に、少し訂正したい。 www.aki104.com Wikipedia 「帯方郡」に、「『帯水、西して帯方に至り海に入る』と漢書地理志にある」というのをそのまま引用した。 しかし、ちょっと不安になったから、実際に漢書地理志にあたってみた。 そうしたら…

台湾から与那国島へ丸木舟で漕ぎ渡った。2019年7月7日-9日

2019年7月7日から9日にかけて、丸木舟で、台湾から与那国島まで漕ぎ渡った。 というニュースがあった。[1] [1] http://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/ 漕いだ距離は225km、時間は45時間10分だから時速5kmだ。 丸…

帯方郡本部(郡治)はどこにあったか?

楽浪郡の本部(郡治)がピョンヤンにあったことはほぼ確定している。www.aki104.com では帯方郡はどうだろうか? まず帯方郡は楽浪郡の南部を郡に格上げしたものだから、楽浪郡の南にある。実際、漢書地理志に楽浪郡の中の一つの県として「帯方」の名が出て…

楽浪郡がピョンヤン近郊にあった証拠は?

古代日本に関する文字記録はほとんどが中国史書であり、そこでは倭人は中国領の東端にある楽浪(+帯方)の海中に居る。 そこで、楽浪がどこにあるかが問題となる。 本やネットで調べると楽浪郡の本部(郡治)はピョンヤン市にあったと記されている。 それを…

すてきな日本語

昨日、津田沼丸善で「すてきな日本語」というちょっと「すてきな」冊子をもらったから、忘備録として記す。 そこで、担当の方二人がたぶん個人的な趣味で40冊の本を選んでいる。 「”すてきな日本語”が読める作品を集めてみました。」と記されている。 冊子…

帯方郡から邪馬台国への所要日数

中公新書「日本史の論点ー邪馬台国から象徴天皇制まで」(2018年)という本がかなり読まれているようで、最近ようやく市図書館から順番待ちで借りる事ができた。 その第1章論点1でいきなり著者が 「水行十日陸行一月」 は帯方郡から邪馬台国までの日数…

郡・国名の重複ー後漢書地理志の場合

前回、三国志東夷列伝(魏志倭人伝含む)と漢書地理志における国名の重複について紹介した。 その結論は、上記史書には国名の重複が存在する。 例えば魏志倭人伝では「奴国」が重複する。 その重複は、単なる間違いとは思えない。何らかの意図があるように見…

国名の重複ー三国志列伝(魏志倭人伝含む)と漢書地理志

孫栄健という方の「邪馬台国の全解決」(2018年)という本が面白い。 何が面白いかというとご本人が中国の史書を深く広く読んでいるからだ。 中国の史書を読む上で中国人は圧倒的に強い。自国語だから当たり前の話だ。 しかし日本の学者さん達の中にはその当…

魏志倭人伝にある距離(里数)を真面目にとらえてはいけない。

魏志倭人伝にある距離(里数)をそのまま地図に描くと、邪馬台国は太平洋の中に没してしまう。 という事は、魏志倭人伝にある距離(里数)を真面目にとらえてはいけない。 とは言っても、他に資料はないから、学者も素人も、魏志倭人伝にある距離(数字)を…

和船の水を漏らさぬ技術

前回に続いて和船の基礎技術について記す。www.aki104.com 大洋を航海できるような、大きな木造船を作るには、何枚もの板を剥いで(互いに側面でくっつけて)水を漏らさぬ一枚板のように加工する技術が要る。 さもないと、海水が船内に漏れ込んで船が沈没し…

倭が大型の構造船・凖構造船を作るための基礎技術

以前、卑弥呼の時代の倭の船は丸木舟だった、という記事を書いた。 www.aki104.com 同じ頃、中国の魏や呉では、現在の木造船とほぼ同じく、板材をつなぎ合わせて作る大型の構造船・凖構造船があったらしい。 www.aki104.com しかし、この板材をつなぎ合わせ…

 陳寿さんの立場から見聞した倭人と倭国について

三国志は魏蜀呉の三皇帝が並立した面白い時代を記述したものだ。 その中に魏志倭人伝(正確には三国志・魏書・烏丸鮮卑東夷伝の中の倭人条)がある。 三国志の著者は陳寿という人だ。 www.aki104.com 陳寿さんの立場から見聞した倭人と倭国について想像して…

史家の功名心

史書の成立 中国の史書というと、史記・漢書・後漢書・三国志と続く。 しかし成立年代となると、この順序ではなく、史記⇒漢書⇒三国志⇒後漢書だ。 後漢書の成立がやたらと遅くなってしまった。陳寿さんの三国志の成立から200年近く遅れて成立したのだ。 なぜ…

魏の使節は卑弥呼に会ったか?

魏志倭人伝によると、西暦238年の女王卑弥呼の朝貢に応える形で、2年後に 梯俊等が皇帝の手紙(詔書)と印綬をもって、倭國を訪れ倭王に会った。漢文では 梯俊等奉詔書印綬詣倭國拜假倭王 とある。その後にも倭王が魏の使節に感謝しており、また再び倭王が…

「倭」は本当に「ワ(wa)」と発音するか?

「倭」を普通に「ワ」と言い慣わしている。「倭人」は「ワジン」だ。「倭寇」は「ワコウ」だ。 しかし、当時本当に「倭」を「ワ」と発音しただろうか? Wikipedia 「倭」によると、隋・唐時代の書物に「ワ(wa)」または「ヰ(wi)」と発音したとある。そこ…

知らないと永遠にわからないままでいることもある。

「主よ、主よ。なんぞ我を見捨てたもうや」(エロイ、エロイ。ラマ・サバクタニ) キリストは十字架の上でこう叫んだ。 この語が長く私にはわからなかった。 高校の英語の先生も「さすがのキリストも苦痛に耐えられなかったのかな?」と疑問符を付けていた。…

本当に古墳はランダム配置か?

前回古墳はランダム配置だと言った。 aki104.hatenablog.com 本当にそうか、他地域で見る。 箸山古墳から北を見る まずは大型の古墳では最も古いと言われる箸山古墳から北を見る。上図の最下段にあるほっそりした形の良い(と私は思う)古墳が箸山古墳だ。池…

古墳のランダム配置

応神天皇陵周辺 衛星写真で日本の古墳群をみるとこうなる。上図は大阪府にある応神天皇陵周辺だ。一番大きいのが応神天皇陵だ。 私は、一見してそのランダム性に驚いてしまった。 前方後円墳が種々雑多な方向に向いているではないか。 これを、エジプトのピ…

邪馬台国はどこにあったか:古くて新しくて未解決の問題

邪馬台国はどこにあったか?という未解決の問題について、現状では場所を特定できる程の資料はない。 というのが、バランスのとれた考えだと思う。 といっても、バランスがとれた考えが常に正しいわけでもない。 声高に「邪馬台国はここだ。」という人の論拠…

西暦1年の世界の人口

Angus Maddisonというイギリスの歴史経済学者が西暦1年からの世界の国の人口とGDPの推計値をまとめている。Maddisonさんは2010年に亡くなっているけれどもその遺志はGroningen大学に引継がれて "Historical Statistics of the World Economy: 1-2008 AD" と…

歴史の縦と横

村上春樹さんは、早稲田大学を英語と国語ともう一つは世界史で受験したそうだ。 なぜ世界史を選んだかについて、世界史は縦と横だけおさえておけばよかったからという。 ここでいう縦とは時間的つながりであり、横とは空間的関係性(地理的つながり)だろう…

卑弥呼の使者が洛陽に到ったのは通説通り西暦239年だろうか?いいえ陳寿さんのいう西暦238年だ。

卑弥呼の使者が洛陽に到ったのは西暦239年(景初3年)というのが通説だ。 魏志倭人伝が238年(景初2年)と言っているにもかかわらず、通説は239年だ。 理由は簡単で238年には楽浪・帯方郡を支配していた公孫淵が魏と戦っている最中だからこの年はあり得ず…

夷州(台湾)と中国の関係

三国志の孫権伝に記載がある夷州は台湾らしい。実際に渡海して夷州まで行って数千人を連れてきた。これが西暦230年だ。呉は台湾まで行く大きな船をもっていた。 aki104.hatenablog.com ところがその後台湾に関する記述が中国の史書から消える。 Wikipedia「…

魏志倭人伝に続く西戎伝について

魏志倭人伝と言い慣わすけれど、正確に言うと三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝(うがんせんぴとういでん)の中の倭人条という。魏・呉・蜀の三国志のなかの魏書の中の烏丸鮮卑東夷伝の中の最後に、倭人について記載されている小さな部分に過ぎない。 陳寿さんは中国…

親の喪に服すため職場放棄する(三国志孫権伝と晋書陳寿伝より)

「三年之喪」というのが三国志呉主伝(孫権伝)にある。 親が亡くなると3年間喪に服して身を慎まねばならない、ということらしい。 例えば戦いの最中の将軍が親が亡くなった事を理由に職場放棄する、という事が(少なくとも呉では)実際にあったらしい。 呉…

烽火:呉の光通信システム(三国志孫権伝より)

三国志孫権伝に古代の光通信システムの記載がある。 長江(揚子江)の沿岸沿いの高台でのろし(烽火)を揚げて急を知らせた。 連絡網を次々と経由して伝わるから非常に速い。一日で万里を行った(一夕可行万里)。 長江の辺境に敵が攻めてきたとしても、1日…

干支(えと)はめんどくさい(三国志呉書呉主伝(孫権伝)より)

三国志呉書呉主伝(孫権伝)に干支(えと)についての面白い記事がある。 趙暢が占って「呉は庚子に衰える。」と呉の皇帝の孫権に進言した。 孫権が「それはいつか?」と聞くと、 趙暢が指を折って数えて(屈指而計之)「58年後です。」と答えた。 孫権は「…

卑弥呼の使節の船

西暦238年、魏が公孫淵勢力を帯方郡・楽浪郡から追い出して魏の直轄地になったと同時に、卑弥呼は魏に使節を送った。 aki104.hatenablog.com 実際には次のようであったと考える。 公孫淵の支配する帯方郡・楽浪郡の役所にたまたま卑弥呼の使節がいた時に、魏…

三国志呉書呉主伝(孫権伝)から中国の船を想像する。

南船北馬という。 中国では南部は降水量が多くて河川や湖が多く主要な交通機関は船だ。北部は比較的乾燥して馬が主要な交通機関になる。 交通機関は戦いの時には兵器にもなる。三国志の時代には、魏では馬が主要兵器であり、呉では船が主要兵器だった。 西暦…